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ΑΙΩΝ

瞳の書 02-2

ここにおいて、汝らはふまえておかねばなるまい。これらは無であると。つまり、本質において無限であると。故に、私たちの本質は無であり、無限であると。故に、意志とは、同じく我々を我々と知るものであり、また我々自身であり、我々が存在である理由である。即ち、意志そのものが無からの区別であり、また存在そのものであり、流れであるが故に、我々を我々たらしめるものである。

,ここにおいて、私は汝らに人について語らねばならない。人は肉体に宿る魂、即ち、意志とその存在であり、何れも法、即ち、変化であり、無であり、無限である。すべての命や、存在の本質は変化、即ち、法である。故に、人を知るには存在、即ち、法を知らねばならない。

法とは、無と区別した存在そのものすべてである。そしてそれは、働きそのものである。その本質は無であるが、働き、即ち、流れであるが故に、存在しているのである。法は、存在すべてである。そして、すべての対立する存在を含む。神と悪魔、生起と死、変化と見かけの持続。故に、完全である。そして、慈悲深く、残酷である。そして、存在であるがために、すべてのその対立は、うち消しあうことなく生きる。

これが法の全体性であり、愛であり、存在であることのできるゆえんである。これが六芒星の螺旋の知恵であり、これが唯一完全な、存在を存在たらしめるものであり、無から区別され続けられる永遠の調和であり、存在の存在である知恵である。これこそ法である。法の知恵である。そして、法が法であることである。そして、法はその意思をすべての創造物に顕わしている。

花であり、宝石であり、太陽であり、星であり。そして、それらすべては、法の意志により調和する。法であるが故に。人は意志を持つ。法の顕れであるが、しかし、その意志はほとんどが偏っている。即ち、法が無に対して成したように成していないのである。

法自身は大きくなりつつある。知恵によって無から区別し続けている。やがては再び無に帰す。これは繰り返される。即ち、生起、進化、持続、回帰である。これがアオムである。そして、法の本質の我々は、その調和と、螺旋の知恵を持つ。本質の内に。そして、これこそが私たちを至らしめる道である。汝らはここまでをまず洞察せよ。また何れ。

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