1Jun
《アントロポス》
汝らは考えたであろうか。生の意味を。つまり、存在は、死を含めて、変化そのものであり、永遠である。故に、ここが汝らには気付き難いのであるが、即ち、すべての存在は、己自身であるが故に、すべては尊いのである。故に、己をおいて他に尊いものは何もない。
そして、汝らは、己自身を畏れ、嫌い、盲目に走る。これは、己を欺き、己を知らず、己を己から離すことである。これらは、弱体、貧弱、悪意、羨望、及び、憎しみを生み、また、それらそのものであることに気付くがよい。
ここにおいて、何者をにも勝るものは何であるか聴け。それは、個性である。己を知ることであり、何者にも劣らない、一つのものであるものの、全く違う顕れである。これらは、本質であり、目的である。そして、人は、この己を形作るために生きるのである。これこそが、歩むべき道であり、永遠の現在であり、目的である。即ち、己を顕わすことが、我々の目的である。
ここにおいて、汝らは、願いと、捕らわれと、畏れと、怒り、そして、愛を知らねばならない。ここにおいて、個性とは、病魔然り、人然り、花然り、すべてのものの、たった一つの特性である。
汝らは、己自身として、すべての憎むべきものたち、嫌うべきものたち、自分を脅かすものたちを見つめなければならない。また、愛しいもの、自分の欲するもの、心惹かれるものを見つめるがよい。捕らわれることなしに。そして、己が嵌り込んでいることから抜け出さねばならない。ここよりは、汝らの試練である。
ここにおいて知恵を授ける。汝らは、この剣を持ちて、歩むがよい。すべては己自身である。願いは今を掴むことである。洞察は対立を知ることである。調和は、対立と、己の内の嵌り込みを見つけだし、結びつけることである。己は∞であるのはその故である。そして、至れ。本質である永遠に。己を愛せ。それが、生きることである。また何れ。