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ΑΙΩΝ

《アントロポス》

汝らは肉体に宿る。肉体の朽ちるまで、汝らはそれと共に生きる。では汝らは生起する前に何であったのか?ここで私はいう。魂は己を無から区別し続けることによる限り不滅である。そして、考えも不滅であり、いろいろなもの、実は一つのものである人々の間を巡る。それらは、確固たる存在であり、無意識の内につながり、生きる。

人の魂は、露顕する、光の部分の意識と、すべてにつながるが故に、区別されがたい、闇の部分である無意識とがある。そして、肉を持たぬ魂や神々は、焦がれ、待ち続けながら孤独に生きる。このように、肉を受けた魂は稀である。

魂はその本質であるが故に、変化する。魂が存在しえるのはまさに、法が無から生じているのと同じく、法の無限の存在から自己を区別しているために、生じているのだ。肉体は法の意志によって存在し、法自身である我々とともにある。肉体も、本質において無限であり、1,2,3,4の存在であるための変化をする。今においては。

肉体は如実に魂を顕わす。人は生きることにおいては、未だ不完全であるが、その可能性は無限である。それはあたかも、生が生まれてここに至るが如く。それらは願いによって成されているのである。

ここで私は汝らに教えねばなるまい。願いとは何かを。願いとは欲望、及び意志の方向性である。そして、正しく、即ち、すべてで祈ることは、自分自身を掴みきることであり、全体性への回帰である。しかし、これらは成されがたい。その理由は、畏れであり、捕らわれであり、偏りであることによる没我、即ち、無明である。これらは、ほぼ同じように作用する。そして、これらをカルマという。 ここにおいて知恵を授けよう。

汝らの本質は法であり、そのものの顕れである。汝らは、故に、捕らわれぬ瞳を持たねばならない。すべての苦しみは偏りである。捕らわれによって自分自身を無明の中に落としている。ただそれだけのためである。洞察せよ。何れ。

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