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ΑΙΩΝ

瞳の書 02-1

《アントロポス》

意志とは何か。まずそれを語る前に、存在における変化というものを知らねばならない。即ち、汝らのいう未来についてである。未来は果たして汝らが思うことが出来るように決まっているのか?

,ここにおいて洞察するがよい。未来が決まっているということは、即ち、現在に作用する。即ち、過去に作用する。つまり、過去においての流れは現在に至る。そして、現在は未来に続く。そして直ちに矛盾が生じる。過去は無限であり、未来は無限である。故に、現在こそ無限である。

聴くがよい。過去などはない。ここにおいて汝らはいうであろう。過去は確かにあると。汝らは未来に対して過去といい、過去に対して未来という。そしてそれらは無限であると知る。これが矛盾である。無限のものに対して無限が接している。その瞬間にそれらは無限の特性を失う。即ち、現在と分けることこそ矛盾である。汝らのいう現在とは、即ち、あり得ないのだ。

これが本質における無限、即ち、無である。言い換えれば、存在するのは限りない無、即ち、この瞬間の存在自体が無である。過去はあり得ない。未来もあり得ない。ただ概念として、汝らが無から区別しているのである。これが、私たちが時間として存在する理由である。即ち、無から私たちを区別しえるものは、現在に他ならない。

存在が存在であり得るには、故に、流れが必要である。つまり、存在は流れそのものである。故に、過去というものはない。未来というものはない。私たちが存在であるがために区別しているのである。故に、私たちの本質は流れである変化である。故に、汝らは知るがよい。存在とは現在である。そして、意志とは存在における方向性、つまり、流れ、変化の方向性である。

ここで汝らに教えねばなるまい。すべては、法の存在であるための意志そのものである。即ち、我々は、存在するから存在するといえる。つまり、無から法が生起し、存在したとき、存在であるのである。

意志とは存在である。法においても、その本質である私たちにおいてもである。無限の内において、即ち、永遠の点、即ち、無において、原初法は、混沌の内の存在そのものであった。即ち、無の内の存在である。無と無を区別したように。

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