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ΑΙΩΝ

瞳の書 01-2

存在とは顕れであり、働きである。そしてそれに対応するものは非現実、または非存在である。汝らはここで、分けることが存在であるなら、分けないことは存在でないのかと問いかけるだろう。そのとおりである。分けることにより存在するのであるが、故に、分けない部分では死んでいる。即ち、無に溶けているのである。

,おおよその存在や思考は、拮抗するものに捕らわれているのである。そしてすべてを、即ち、平等に分けることにおいてのみ本質、即ち、自己が見えるのである。これが六芒星形(ヘキサグラム)の知恵である。

ここで汝らは問うであろう。分けることが存在なら、塵や砂粒、石や土、水やその他の物質は何によって分けられるのか。自分自身で分けているのか、それとも我々が分けているのかと。それが神である。

ここにおける神とは、働き、即ち、存在を存在たらしめるもの。即ち、存在そのもの神であり、悪魔である。働くことそのものであり、存在を存在たらしめるもの、我らを我らたらしめるもの、即ち、我はそのもの。汝らそのもの。屑であり、石ころであるすべての顕れそのものそのものである法である。即ち、すべてのものは法、即ち、無から自らを分けた存在そのものである。

これが湿婆(シヴァ)の男根(リンガ)、即ち、四角錐の知恵である。一において生起、二において持続、三において変化、四において死。故に、四角錐の知恵である。即ち、存在そのものは非存在の対応として永遠である。そしてこれらこそ命である。そしてこれらも調和の形を取る。働きとして、無に対してただ分けられているのである。

聴け!即ち、私たち存在は存在の顕れである。即ち、私たちは存在以外の何者でもない。即ち、法以外の何者でもない。故に、すべては尊いのだ。汝聴くがよい。私もあなたも存在、即ち、法である。故に、願いは叶うのである。

すべての個性、即ち、自己はそれ故尊いのだ。存在としての、神としての、法としての自己に祈れ。自分を愛せ。自分の顕れである世界を愛せ。すべては自分の顕れであり、自分はすべての顕れである。紙屑に祈れ。愛を持ってすべての自分に祈れ。これが力の知恵である。また何れ。

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