1Sep
《アントロポス》
汝らに、私は告げる。かつて私が伝えたものの中に、七つの偽りがある。汝らは、それを、見いださねばならない。汝らが望むなら、もう一度説き明かそう。しかし、これから私が説くことは、汝らにおけることそのものの顕れである。
汝らは、思うことによりて、即ち、分けることによりて、罪を犯しがちである。汝らは分けることにより、その呪いに、陥りがちである。
私は、確かにこの世界を無限の顕れであると説いた。しかし、そのことによりて、汝らは、汝ら自身を見失うのだ。この世は無意味であるとか、我らは∞であるために、すべては同じことであり、幻であるという風に。これが、神の知恵の女神、ソフィアの嘆きである。我々、即ち、すべてのものの、知恵そのものである。
ここにおいて、私は警告する。かの女神は、自らの知恵によって、作り出された闇を、即ち、無意味を畏れ、嘆き悲しむ。汝らと同じく。私は、すべては無限であると説いた。しかし、無意味であるとは説かない。汝らは、顕れであると、自分自身を、区別する。それと同時に、顕れでないものを、無限の対立として考える。そこに、ソフィアの誤解がある。
汝らは、顕れないというものを、勝手に想像しているにすぎないのである。故に、汝らは、回帰する必要がある。すべての本質を見極めるべく。それにはどうすればよいか。汝ら自身を知るのである。何故なら、汝ら自身が、そのものであるが故に。
汝らは、曇らぬ瞳を、もつがよい。躓かぬために。自分自身に、忠実であるということは、すべてにおける道である。誰かのために、何かを成すということは、己のために他ならないという風に。
己を殺して、何の徳ぞ。それは、脳味噌の堕落である。汝らは、己の内に中心を持て。己にとって、成したいことと、そうでないことを、見極めよ。簡単なことである。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いであると、心の底から思えることに、忠実であればよい。己の拘りや、捕らわれに引きずられることなく、自己に正直であれ。それが、道標になる。汝らの本質の故に。
汝らは、苦しいものを、叩き潰すがよい。汝らは、醜いものを、蹴散らすがよい。汝らは、恐るべきものを、燃やしてしまうがよい。それが命の方向性である。
すべてを、遊びの如く、真剣にこなすがよい。それが、聖なる遊びである。汝らは、そこに、意味を見いだし、価値を見いだすであろう。卑しいもの、清いもの、すべての無限、即ち、法の顕れである。
もう一度いう。すべてのものは、汝らにとって、意味がある。無限の中の有限を考えよ。また何れ。