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ΑΙΩΝ

熊野まで拉致られてみた 01

いつもいつもいつもいつもいつもいつも唐突だが、今回は極めつけw

またも565氏から電話があった。後で確認すると、25日の4時35分に着信履歴がある。琵琶湖から帰ってきて30時間ほどしか経っていない。そんな状況で、

「大変なことが起こった。これは大ごとや。今から熊野に行こうw」

この電話から90分ほど後、6時には既に熊野に向けて出発していた....w

どうも土曜の晩に女の子と飲んでいたらしいのだが、突然泣き出して、“熊野にお札を返しに行かなきゃ”と言うのだそうだ。

普段はそんな、“気”は無いようだが、突然トランス状態に陥って何かが話しかけてくるらしい。そして、その会話の中で、“笹滝”ってのが有るとも言ったらしい。

「前に言っていたさたきってささたきじゃないか?熊野の近くらしいし、これは行っとかなあかんやろwww」

実は前に言ってたってのは 、さたき について夢で見たことなのだが、その時の感じでブログには書いてなかったけれど、“頭に何か文字が着いていたかも?”とは何人かには話していた。今回は条件に当てはまる感じ。

そんなこんなで、見切り発車的ではあったけど、やはり無謀だったのか、高速でいきなり睡魔に襲われたようで、2時間弱ほど仮眠。熊野本宮大社に到着したのはちょうどお昼の12時ぐらいだった。

参拝を無事に済ませて、以前に買い損ねていた熊野本宮大社熊野牛王神符をゲット。おみくじは当然のように?大吉

お札も無事に返却できたようで、ひとまず昼食を摂る。

昼食を摂った後、すぐ近くにある、大斎原(おおゆのはら)に向かう。

昔、熊野本宮大社熊野川音無川岩田川の合流点の中洲の森に有り、幾棟もの社殿、楼門、中門、能舞台、神楽殿、参篭所、社務所、神馬舎などが建ち並んでいた....らしい。

明治22年(1889)、熊野川の大洪水で12の社殿のうち、中4社と下4社が流失。明治24年、流失を何とかまぬがれた上4社を約1km北の現在地に移し再建した...らしい。

大斎原旧大社の鳥居があったところに建てられた、高さ33.9m、横幅42mの鉄製の大鳥居を抜けて、鎮守の森というところをトボトボと数分程度で到着。

ここに来るのはもう3度目ぐらいだっけかな?結構な広さの草地にポツンと2基の石祠が有って、西側の祠には旧境内の中4社と下4社、東側の祠には旧境内にあった末社が祀られている。

この2基の石祠に、同行してた方がどうも引っかかってしまったらしく、かなり長い時間祈りを捧げていた。

サクッと参拝を済ませて辺りをうろついていると565氏が、

「河原に降りてみないか?」

との提案。特に反対する理由もなく、大斎原3度目にして初めて下に降りていくことになった。

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