15Jan
1995.01.17.05:46:52a.m.〜6時
当時Kawaは垂水区の、山陽線滝の茶屋駅に近いところに住んでおり、実家とカラオケパブが震度7認定を受けた長田区の南側、コンビニは同じく震度7に認定された兵庫区の新開地駅近くという位置取り。
揺れが落ち着いて一息ついた後、すぐにバックルームに立ち入って、上着と鞄を探索に行った。いつもならKawaの休憩時間でくつろいでいたであろうバックルームは、棚が崩壊し、防犯ビデオや、商品が大変な状態になっていた。
熱を出したため早めに休憩に入ったのが幸いしたのだが、ここにいたら少なくても軽くない怪我を負っていただろうと思う。
同じ理由で、休憩が早く終わったために商品補充も早く終わったのだが、H君が補充のためウォークインと呼ばれる大きな冷蔵庫の中にいたら数百本の缶ジュースやペットボトルに襲われ、こちらもただでは済まなかっただろうと思わせる惨状。
本当にいいタイミングで2人ともレジにいたため何ともなかった。同じカウンター内でも、ファーストフードを作る奥の方にいたらフライヤー(揚げ物あげる機械)の油を浴びていただろうし、ホットドリンクの什器からも離れていたので、それに襲われることもなかった。
余震の中、鞄と上着の探索を終えた後、冷静に何が起こったか把握する術を考え、ふと思い立って、外に止めていた車のカーステでラジオを聞いてみた。
アスファルトに溜まっていた埃が中を浮いていたせいらしいのだが、早朝の暗闇と合わせてすこぶる視界が悪かったのを覚えている。
ラジオでは震源地が淡路であること、(大坂のラジオ局だったのだが)局内も結構揺れたらしいと言うこと、第一報だったのか死者2名とあった。
「2名で済むわきゃ無いだろwww!」
と思いつつも、断層が斜めに走っているとかの情報もなかったその瞬間は、震源により近い自宅はもう駄目だろうなぁ...と漠然と感じていた。(実際には壁が少し落ちていた位で大きな被害はなかったが、それを知る術はなかったし、その時は物欲満載でありつつ諦めモードに入っていた)